このページは、メール講座「目醒めの教科書」を読みながら、ふと感じたことやもっと知りたいことなどを自由にシェアするための場所です。
うまく言葉にしようとしなくて大丈夫です。
まとまっていなくてもかまいません。
「間違っているかもしれませんが…」
「うまく言えないのですが…」
そんな前置きも、必要ありません。
頭の中で浮かんだことを独り言のように、そのまま書いていただいて大丈夫です。
ここは、正解を出す場所でも個別の悩みを解決する場所でもありません。
それぞれが見ていることや感じていることを、静かに分かち合う場所です。
短い一言でも大丈夫です。
どうぞ気軽に書いてみてください。
僕にとっても、あなたの言葉はとても学びになります。
目覚めの教科書を楽しみに読んでいます。スピリチュアルの誤解は完全保存版といった感じですね。
私も引き寄せなど過去に学びました。
上手く引き寄せがいくかどうかはまず、インナーチャイルドを癒す必要があるとのことでした。
当時は頑張って泣いたりして癒していましたね。
昭和世代を生きてきた人たちは多少なりともインナーチャイルドは傷ついているのだろうと思います。
けれどももう過去なんですよ、すべてが。
本当の望みを実現するためにインチャを癒し、ブロック解除をしたり道のりが長く修行のようだと思いましたが、
変わりたいと思う気持ちが強かったのでこのような講座を受けてしまいました。
今はある程度年齢を重ねて、もうこれでいいと私も思えるようになりました。
自分を大切にするってこういう感覚なのかな。
ズッコさん 長く「変わろう」としてきたからこそ、
「もうこれでいい」
と思える感じになってきたのですね。
ただ、目醒めでは、
「自分を大切にする」
の「自分」って、本当にいるんだろうか?
というところも、静かに見ていきます。
スピリチュアルとは、また少し違う世界が残っています。
目醒めは元々あったもので、自我が芽生えてアイデンティティみたいなものが形成されて、それを私だと思い込んでいるのでしょうか?無意識に思考や感情に巻き込まれていた状態から、その都度沸き起こる思考、感情、感覚に気づいていくことで、そこに一瞬の隙間みたいなものが現れたりするのでしょうか?
ハルさん コメントありがとうございます。とても丁寧に見ていらっしゃいますね。
ただ、自我があるかどうかに関わらず、背景という既に変わらずあるものが同時にあるように感じませんか。理解しようとするよりも、気づいているこの感じに、少し触れてみてください。そのままで大丈夫です。
思考を観察しようとすると意識が奥の方に、背中の方に来る感じがします。
たろうさん コメントありがとうございます。そういう感じになることもありますよね。
ただ、意識がどこにあるかよりも、今気づいているこの感じに、そのまま触れてみてください。そのままで大丈夫です。
わたしは思考も感情も感覚も・・・脳で事実を解釈(翻訳?)して現実をつくっているという理解でいます。
だから脳に自分があるという気もします・・・
でもその、脳が奏でる(?)プロセスを観ている感じもします・・・
かんさん コメントありがとうございます。とても丁寧に見ていらっしゃいますね。
思考や感情、感覚が動いている感じと、それをどこかで見ているような感じ、どちらも自然に起きていることだと思います。
ただ、「どこに自分があるのか」と考えなくても大丈夫です。
今感じているこの全体に、そのまま触れてみてください。
そのままで大丈夫です。
〝スピリチュアルの誤解を解く〟
について…
やっと辿り着いた感覚です。
まだまだ、自分の中の誤解を解いている段階ですが、誰かに聞かれたら、お伝えしたいと感じました。
ありがとうございます。
次回も楽しみにしております。
M子さん コメントありがとうございます。
やっと辿り着いた感覚、とてもよく伝わってきます。
無理に言葉にしなくても大丈夫です。
そのままで、十分です。
私でないものを見てみると、思考、感情、体。現象として現れているもの。それらにいいも悪いもなく気づいている意識が映画に例えるとスクリーンなのでしょうか?死んでも魂(スピリット)は永遠と聞きますが、それさえもストーリーに巻き込まれているのでしょうか?目覚めとは、それを超えた?(別の話)になりますか?
コメントありがとうございます。とても丁寧に見ていらっしゃいますね。
思考や感情、身体も、現れては消えていくものとして見えてきますよね。
どう理解するかよりも、いま「気づいているこの感じ」に、そのまま触れてみてください。
そのままで大丈夫です。
長年、精神世界を学び、自分が自我に気付き続けなければ悟れない。自分が出来てないとダメだと考えていました。自分が変わるのではなくその土台に気付いてゆくんですね。これは有り難いです。
たろうさん コメントありがとうございます。長く取り組んでこられた中で、
そこに気づかれたのはとても大きいと思います。
「自分が変わる」ではなく、土台に気づいていく感じ。
そのままで大丈夫です。
目覚めは「私」の夢から覚めること?
それも夢の中で気づくことなのかな・・・
夢の傍観者みたいになるのかな。
コメントありがとうございます。とてもいいところに触れていますね。
ただ、「傍観者になる」というよりも、「誰かになろうとする感じ」がおさまっていく感じです。そのままで大丈夫なんです。
私がいないって気づく側の人が居るんじゃないんですか?
そう見えますよね。ところで「気づいている人」って、本当にいるんでしょうか?
目醒める為のストーリーは、要らなかったんだ!
ただ在ること。
もう既にそうで在る事に気付くだけだった…
結果、それぞれの体験が、目醒めへのストーリーとなっているだけなんだね!
Hiromiさん コメントありがとうございます。
とてもいいところに触れていますね。
「ストーリーはいらなかった」
この感じ、とても大事ですよね。
ごめんなさい。
コメントする欄を間違えてしまいました。
ナカムラさん、にしきさん、すみません。
謝らなくて大丈夫ですよ。間違いはあることですから。
動画では「宙ぶらりん」という言葉が印象に残りました。
実際に自分に当てはめると
宙ぶらりん、って感覚はけっこう不快・・・
だから思考して何かストーリーを創ってしまうのかな・・・
と感じました。
そこがあるがままと分離の境目なのかなというのが今の理解です。
上手く言えませんが
不快な感覚を、思考に走らずにそのまま味わってると
案外怖くなくなります・・・
コメント残せるようになってて何だか嬉しいです。
ありがとうございます。
かんさん コメントありがとうございます。
「宙ぶらりんが不快」という感覚、とても自然です。
そして、そのまま見ていると怖くなくなってくる感じ、とても大事なところです。
うまく言えなくても大丈夫です。そのまま進んでいます。
お釈迦様は、長い瞑想修行の果てに目覚めたんじゃないんですか?
そう思われている方は多いですね。実際には、長い修行の中で苦行も含めて試し尽くして、「これではどうにもならない」と分かったところで、方向が変わったとも言われています。なので、長くやること自体が直接の原因というわけでもないんですよね。
子供の頃から思っていたけれど・・・
『私』っていう意識がずっとあると思うと怖い・・・
私=孤独な体験、という感じかも知れない。
『私』を誰とも共有出来ない・・・
そんな『私』はいつ生まれたんだろう?
どうしたら・・・何に気づいたら消えるんだろう・・・?
かんさん コメントありがとうございます。
「私がずっとあると怖い」
という感覚、とても自然だと思います。
「私=孤独」と感じるとき、そのまま続くと怖いですよね。
ただ、私は消しゴムで消そうとしなくても大丈夫です。
ふとしたときに、その「私」自体がはっきりしない瞬間も、
すでに起きていると思います。そのまま何もしなくてで大丈夫です。
にしきさん、先日「宇宙の法則」の方へ感想を送ったSUGIです。
「目覚めの巡礼者」や「頑張らない目覚め」の方も、興味深く拝読しております。
長く瞑想やヴィパッサナーに取り組んできました。
武道や整体等もやっており、
そちらの方での能力アップに繋がりましたが、悟りはピンとくることが
ありませんでした。
にしきさんの優しく語りかけてくる動画やメッセージは心地良いです。
今後とも宜しくお願い致します。
SUGIさん、メッセージありがとうございます。
瞑想やヴィパッサナー、武道や整体、悟りに取り組まれて、レベルアップをされたのですね。ですが、目醒めは同じもののように見えて、少し方向が違うんですよね。なので、目醒めに触れて、もう昔には戻れなくなりました。無理に自分を変えようとしなくていいので、ここでなごんでください。どうぞよろしくお願いいたします。
はじめまして。
「観察」について
思考に気付くと「あ、思考」。
気づく度に「思考」「…」「…」とやっていると一瞬ですが思考が消えて 何もない状態を感じます。
そして また思考に気づく。
こういう状態でいいのでしょうか。
気づいているのは誰?の状態までたどり着いていません。
コメントありがとうございます。書いてくださっている状態で、まったく問題ありません。
ちゃんと起きています。思考に気づくことも、ふっと静かになる感じも、どちらも自然に起きていることです。そのままで大丈夫です。※返信が抜けちゃってごめんなさい。
目覚めとは、私という感覚が仮構造だと見抜く事だと思うのですが、違いますか?
とてもいいところに来ていますね。
では一つだけ問いを置いておきます。
「“仮構造だと見抜いた”という出来事は、
本当にどこかで起きていると言えるのでしょうか?」
正解を出そうとしなくて大丈夫です。
観察しました。
思考に気づく、感情に気づく、体の感覚に気づく
起きてくる事に気づく。
気づく事はできるように思いますが、
出てくるものが次から次へなので
気づきが追いつかないな‥という感じの感想です。
keikoさん 観察されているんですね。気づくことができているという時点で、もうそれで十分だと思います。出てくるものを全部追いかける必要はなくて、どれか一つに気づくだけでも、それで観察できているんですよね。
お返事ありがとうございます。
気づきは一つでもいいんですね。
追いかける必要はないんですね。観察はできているんですね。
良かったです。
ありがとうございます!
観察していきます。
自我が強すぎるせいか色々な例えを頂いても勝手に頭で理解してしまう。
私はいないと思っても「自分はここに居る!」と自我が大暴れ
すごく単純な事なんですケドね。(また頭で分かろうとしてしまう)
気楽に楽しんで目覚めていけたらなぁと思います。
いつも配信やメール講座ありがとうございます
祥さん コメントありがとうございます。「自分はここにいる」と感じることや頭で理解しようとしてしまうことも、とても自然なことだと思います。エゴが暴れているように見えるときも、それも含めて、ただ起きていることの一つなのかもしれませんね。無理にどうにかしようとしなくて大丈夫です。うまくできてますよ。
言葉にするのってホント難しいですね
さっきまで思ってたこと、言葉にしたらもうなんか違うし、自分も感じてること変わってるし…
どうせ、あ とか う とか言葉にならないようなこと発してるだけですよ
ここに書いたことも後から見れば何言ってんだろってなるんだろうけど…
それもどうってことないし、まぁいいか!
中村寧さん その感覚、とても自然だと思います。言葉にしようとすると、少しずれてしまう感じや、さっきまでの感覚が変わってしまう感じ。それも含めて、ただ起きていることなのかもしれませんね。
悟りと目醒めはなんとなくですが同じだと認識していました。
そして錦織さんの言われる自己探究のアプローチは
よく知らなかったです。
次回の観察のお話し聞いてみたいです。
ありがとうございます。
keikoさん コメントありがとうございます。悟りと目醒めは、同じように感じられることも多いと思います。自己探求や観察についても、新しく感じられる部分があったかもしれませんね。ただ、目醒めは何かを理解したり新しく身につけたりするというよりも、今既に起きていることをそのまま見ていくようなものです。次回の観察もそんな視点で見てください。
何か長年のもやもやが晴れつつあります。
違和感を持ちながらスピリチュアルを学んできたけれど、こうして明確に文章にしていただくことで、自分の違和感が何だったのかがわかってきました。
スピリチュアルの「現実創造」「自分が現実を創造する」というのが何か苦手でした。
もう少し深く知りたいです
エゾモモンガさん 長年感じていた違和感がこのメール講座で晴れてきたのはとても自然ですね。スピリチュアルに違和感を持っていたのは、もともとそれじゃない本質を志向されていたからではないでしょうか? 「現実創造」に対してどこかしっくりこない感覚があったのも、無理はないと思います。その違和感は大事なヒントかもしれません。その違和感を見てあげてくださいね。
ありがとうございます
そのままにしておいていい。
私とは何か。
常に恐れる私がいます。
行動出来ない私がいます。
見つめて感じてみます。
石津盟さん 見つめて感じてみようとされているのですね。
ただ、「感じよう」とすると、少し違う方向に行ってしまいます。
なぜなら、目醒めは感じるものではないからです。
もしよかったらその「恐れている私」は、どこにいるのでしょうか?
それを見るだけで十分です。感じなくていいです。
前提が一瞬、ああこれかと気づくのですがすぐわからなくなってしまいます。スクリーンも同じような感じです。奥に何かがあるような気がします。
教えてぐださりありがとうございます。
石津盟さん「一瞬これかと感じるけれど、すぐ分からなくなる」という感覚は、多くの人が通るところです。
ただ、この探求では「奥にある何か」をつかもうとするのは少し違います。
なので、奥を探そうとするよりも、その「一瞬わかった感じ」が起きたときに、そのままにしておいてみてください。何かをつかもうとか感じようとしなくて大丈夫です。このメール講座でこのあたりのことも自然とわかってくると思います。
変わらなくていい。
ただあるだけでいい。
のメッセージが腑に落ちます。
ありがとうございます。
keikoさん それはなにより。この「目醒めの教科書」も理解しなくていいし、目醒めのために変わらなくていいんです。
にしきさんのおかげで、映画のスクリーン(前提、土台)がある日わかりました。でも
思考はどこから生まれてくるのか。
感情はどこから出てくるのか。が、分からず、ずっと疑問でした。でもこのメールを読んで分かりました。ボヤッとしてたものが、くっきりとした感じです。
でも「出来事はどこで起こっているのでしょうか。」
の答えはなんとなくしかわかりませんが。。。
icoさん メッセージありがとうございます。
スクリーンのたとえが腑に落ちたとのこと、よかったです。
ただ、この問いは「正解を見つけるための問い」というより、少し立ち止まって見るための問いなんですね。
なので、答えは出さなくていいんです。
「出来事はどこで起こっているのか」がはっきり分からなくても大丈夫です。
むしろ、すぐ理解で答えが出るより、「あれ?」と少し宙ぶらりんになっている感じのほうが、目醒めでは大切だったりします。
答えを出そうとするより、「本当にどこで起きているんだろう?」と、そのまま見てみてください。それだけで十分です。
最近
ストーリーに入って体験してる私に気づき
ああこれも幻だったと思ったら、ひいてみられるようになりました、
出来事に対して私がなんとかしようと力が入る時、それに気づきああもういいんだったと力が抜けるそんな風です
そして
変わらなければ
てばなさなければ
成長しなければ
という思いが薄れ
ああもういいんだった
このままで大丈夫なんだったと思えるようになりました。
植村規光子さん とても大事な気づきですね。
「何とかしよう」と力が入ることに気づいて、
「ああ、もういいんだった」と力が抜ける。
その瞬間、何かが変わったわけではないのに
少し自由になりますね。
そして実は、その静かな感じのところから本当の探求が始まっていきます。
シェアしてくださってありがとうございます。