各回のメールを読んで、どんなことを感じましたか? どんなことが印象に残りましたか? どんなことを深めたいですか?
ひと言でもけっこうですので、他の方の学びにもなりますので、コメントを残してくださるとうれしいです。
にしき
素晴らしいメール講座をありがとうございます。 2つの目覚めの違い、構造、仕組みがハッキリ分かった事が嬉しいです。 ずっと自己探求を続けてきて、深い自己否定、世界を恐れ拒絶してきた自分を癒し、やっと自分を取り戻し、「自分軸」で生きようというところに辿り着いたからこそ、「自分はいない」という次の段階に行けるようになったのではと、思っています。 動画も拝見していますが、この講座で、さらに理解を深め、それを体験を通して腑に落としていく事が起こってくるといいなぁと思っています。 よろしくお願いします。
京子さん これまでたくさんの努力や癒しを重ねてこられたんですね。 そこで起きてきた心の回復も、とても大切な体験だったと思います。 ただ、ひとつだけ大事なことがあります。 「自分軸を取り戻したから次の段階として自分がいないへ進める」 という構造ではないんです。 深い目醒めには段階がありません。 「次に進む私」という成長・努力の物語をそっと手放したときに、 既に在る静けさがそのまま立ち上がってくるんです。 このメール講座や動画でお伝えしているのは、 その既に在るものに戻るための、とてもシンプルな視点です。 理解を深めようとしなくて大丈夫ですよ。 深めようとすると、また「成長する私」の物語に戻ってしまいますから。 ただ見えることが見え、ただ在ることが在る。 それだけで十分なんです。
にしきさん、お返事ありがとうございます。 長年染みついた二元論的在り方は、自分では気づきずらい無意識に発する言葉に現れますね。 今までずっと、学んで理解を深めて成長してゆこうということばかり考えてきてましたので。 それでやっと、「なんか、もういいかな。肩の力を抜いて、リラックスしよう。シンプルに、簡単に生きよう。」という気持ちになってきたところです。
今日のメール講座で、二元論と一元論の違いを確認できました。 最近「自分が失くなれば、宇宙のすべてが自分になる」とか「宇宙には自分一人しかいない」という言葉を目にするようになって、「そうは言っても、そう思えないよなぁ。でもそう思えるようになれたら」と思っていたので、いいタイミングでにしきさんに出会えて嬉しいです。 ありがとうございます。
京子さん 二元論の世界で、頑張る物語を生きてきたんですね。 「力を抜いて、シンプルに生きよう」は、本質に近づく方向です。 ひとつだけ、大切なところをそっと確認させてください。 「自分がなくなれば宇宙がすべて自分になる」 「宇宙には自分一人しかいない」 こういう言葉は、悟りでも目醒めでもないんです。 まったく逆で、エゴが最大限にまで肥大化した状態ですよね。 このメール講座をご覧になった京子さんなら、この言葉のズレがわかるんじゃないでしょうか。 自分が消える先に宇宙があるわけじゃないし、 「特別な理解」に到達した人だけが覚醒できるわけでもないですよね。 僕らは映画のスクリーンで、そのスクリーンに「宇宙」「私」「宇宙には自分一人しかいない」といった映画が上映されているのですよね。 僕らはずーっと映画のスクリーンでした。 目醒めは、「宇宙や自分という映画が、ただスクリーンに映っていただけだった」 という事実に静かに戻ることです。 そのシンプルさは、 京子さんが感じている「力を抜く方向」とぴったり重なります。 メール講座が、そのきっかけになれたらうれしいです。
「努力して手に入れるのではなく、すでに在ることに気づく。」 「幸せになりたい」と思うと、まだ幸せでない現実をつくる。 という事を知識としては知っていても、潜在意識の中にある、頑張らないとだめ。という信念が強すぎて、無意識のうちに努力して何かを得ようとし続けてきたわけです。 そこからぬけだすには、まず構造や仕組みを理解して、自分に何が起こっていたのかにハッキリ気づく事なのだと思います。
今回の講座で、「今の自分は不十分。足りないという前提だった!」という事が身に沁みてわかるような気がしました。
京子さん 気づけたのは大きいですね。 その前提に気づくと、自然に力が抜けていきます。 既に在るほうは、ずっと変わらずありますよ。
エゴなんでも物語にする。出来事に意味や解釈をつける。 まったく、その通り。ずっとそれをやり続けて頭が休まる事がなかったなぁと思います。
今日、ハッキリ気づいた事は、私は自分のフィルターを通して、人や物事を見ていたという事。しかもそのフィルターって、周りからの影響によって作られたもので、歪んでいたり濁っていたりする。 そのフィルターの汚れをきれいにしていくことで、本来の私が現れてくる。 周りの人や物事を、ありのままに観る事ができるようになる。 というか、そのそのフィルターの事を「私」だと思ってたんだなぁ。
京子さん 思うことがありますよね。 ただ一つだけ・・ 「フィルターをきれいにして本来の私が出る」 というより(それが成長物語)、 フィルターする前から私は既にあるんですよね。 だから、フィルターがあってもなくても、直しても直さなくても、 ただ、フィルターが勝手に現れては消えていく様子を観ているだけで十分なんです。 その静けさのほうは、最初から変わりません。
思考は勝手に起きて勝手に消えてゆくだけ、ただの出来事。 怒りや不安、呼吸と同じ。「自然現象」
え~っ!そうなんだ。自然現象!なんだ! 今まで感情は、自然現象という捉え方をしていたけれど思考もそうだったのか! そのように教えていただけた事で、ほぐれてゆるむような感覚がありました。
今まで、何かに気づけた時に、少しゆるむような感じ、意識が広がったような感じがありましたが、それって「本当の気づきなのかなぁ?」
京子さん そうなんですよね。 思考だけでなく、感情も身体感覚も出来事そのものも、 全部ただ起きては消えていく自然現象です。因果関係はないんです。 そして「気づけた」という感覚も、 実は「あなたが気づいた」わけではなく、 勝手に起きた自然現象なんです。 だから、それが本当の気づきかどうかを判断しなくても大丈夫。 気づきも、ゆるみも、広がりの感じも、 すべてはただ現れては消えていくものです。 あなたの本質は、その流れに影響されない静けさのほうですよ。
はじめまして。 メール講座の「スピリチュアルな目覚め「と「深い目覚め」の違いが、にしきさんの説明ではっきりわかりました。 とても鋭いところを突いていて、わかりやすい説明だと思います。 私自身は以前から「深い目覚め」に関心がありましたが、これまで学んできたところは両方がごちゃ混ぜになったような教えもあって混乱しました。教えている方たちの中でも混乱しているような気がします。 今回はっきりと整理できたので嬉しくてコメントを入れされていただきました。
「私」という構造を「握る」のではなくただ「見る」のです。
これがすべてですね。 これからのメール講座も楽しみにしています。ありがとうございます。
yukiさん 目醒めというとき、日本ではスピリチュアルな目醒めがほとんどです。よくて、スピリチュアルな目醒めと、深い目醒めが混ざって語られています。 ですので、この違いをはっきり認識すると、もう迷わないし間違えないと思いますよ。 発信側もわかっていないこともありますが、スピリチュアルな覚醒では、そこに「癒すべき人」がいるんです。だからヒーリング系の方は、いろんな教えが混ざってしまいがちです。 深い目醒めでは、癒すべき人はそもそも存在しない幻と見ます。なので、僕は人を癒そうとはしません。 方向性がまったく違いますよね。 そして、おっしゃるとおり、 エゴは握るのではなく、ただ見る。 「私」という構造を変えようとするのではなく、 その「私という働き」に気づいているだけでいいんです。 それだけで自然と、深いほうへ向かっていきます。 でも、僕らのなかに、「私がよくなる」「私が成長する」という発想は根深く、それが苦しみを作ります。 この染みついた「私」の感覚にも、このあとのメールで注意してくださいね。
にしきさん、先日は返信をありがとうございました。
今日のメール講座の「エゴの物語」も深く納得です。私も何か出来事が起きるとすぐに意味付けが始まって、そこへ巻き込まれていました。それは物語の主人公になり切ってしまっているということですよね。 それが物語であると知識でわかっているつもりでも、気が付くとそこへ引きずられていました。離れた視点で俯瞰するというのが難しかったです。 でも、このところ、にしきさんの説かれる「上映されている映画とスクリーン」の関係がだんだん腑に落ちてきてきました。こうしている今でも、意識をスクリーンのほうに移すと、本当に自分やすべてが登場人物である役者に見えてきて不思議な感覚を味わっています。スクリーンはすごく広くて静かに在るという感覚です。
目覚めとは、何かを変えようとすることではなく何もかもそのままで、ただ映画からスクリーンに意識をシフトさせるような感じと理解していいのでしょうか?
yukiさん 丁寧に向き合われていますね。 ただ、一つだけ大切なポイントがあります。 あなたが言う 「スクリーンに意識をシフトさせる」 これは、実は少しだけ誤解なんです。 スクリーン(静けさ)に「移動する私」はいないんです。 「スクリーンに行こうとしている私」そのものが、 映画の登場人物=物語側なんですね。 本当は、 映画のスクリーンは最初からずっと在って、 そのスクリーンが映画に夢中になっていただけ。 だから、意識を操作したり、 シフトさせようとしなくて大丈夫です。 映画(私の物語)がどう動いても、 その背後で変わらず在る静けさ… それがあなたの本質です。
にしきさん ご丁寧なお返事をありがとうございます。
おっしゃっていることがとてもよくわかりました。 スクリーンはそこに行こうとしなくてもただそこに在るのに 私は「意識をシフトする」という行為で私を存在させているのですよね。
お聞きしてみてよかったです。 まだまだ「私」について思い違いをしているかもしれません。 自我の私が頑張って何かをしていくという習慣から抜け出すのはなかなか難しいことなの かもしれません。 にしきさんの動画や講座でゆっくり落としていきたいと思います。 にしきさんの説かれる教えはわかりやすく温かく優しくて心に響きます。 心からありがとうございます。
雲の背景に空がある。そしてあなたの本質は空
このことは今まで何度も聞いているのですが、それが感じられないので ずっと苦しいままです。「現れ」である「私」からの視点しかないんです。 「私」が空になるんじゃない。空の中に「私」が現れている そのことが頭の理解でしかないのがツライです。
たかこさん 何度聞いてもまったく「私の」体感は変わらないというのですね。 そもそも、目醒めや静けさは感じるものではないからです。 視点の移動です。 でも、その「空を感じられない」が目醒めの入り口になっていますよ。それは失敗じゃないです。 今、「空を感じられない」ということに気づいている誰かがいるじゃないですか? その「気づいている誰か」は、もう静けさの側、空の側なのです。 「空を感じられない、苦しい」というのは空に浮かんだ雲。 でもあなたは同時にそれに今気づいていますよね。 気づいているとき、あなたはもう空の側にいるんです。 これです! そして、この感覚にいると、だんだん私という感覚が薄くなっていき、不安に影響されず、不安が出にくくなります。 いつか、空のほうがリアルになる。 「あれ、今まで何悩んでいたんだろう?」という感じになります。 これが自己探求の道です。
にしきさん、はじめまして。 8回のメール講座をありがとうございました。大変興味深く読ませて頂きました。 瞑想を3年くらいやって、本をたくさん読みました。いままでの人生が生きづらいものでしたので、いつしか目覚めたいと思うようになったのだと思います。 これはエゴの物語ですが‥なんどか不思議な体験もして、体感も頻繁にありますが、いま、慢性的な身体の痛みがあり、なかなか身体の感覚から離れられないのが辛いです。 痛みを離れて気づいていよう、とか、ネガティブな気分になってるな‥と、思考にいちいつツッコミをいれてしまいます。気づいてはいますが、これもジャッジですよね。 関連本の読書や瞑想をやっていないと体感が薄れてしまうようで、やめられないのかもしれません。 こうして書いていると、やはり、辿り着こうと焦る自分が前に出ていることがわかります。 身体の痛みを、どのように見ればよいのか。 他者の気持ちを優先してしまうところが子どもの頃からずっとあって、他者との関わり方、距離の取り方に迷います。 にしきさんのメールを読んでいると、深く納得できるのですが、日常のなかでの在り方に迷いが出ています。
うたのき あかねさん 日常での人との距離感や、どう生きたらいいのかという迷い・・・それはとてもリアルで、長く続いてきた雲のような感覚ですよね。 でも、大事なのは「その迷いに気づいているあなた」が、既に静けさの側にいるということです。 目醒めとは、「迷いが消えること」ではなく、迷いすら静けさの中の出来事だと気づくことです。 そこに気づいたとき、少しずつ「迷いから生きる」のではなく、「静けさから生きる」という感覚が、自然に立ち上がってきます。焦らなくて大丈夫です。サロンでは「静けさから生きる」実践もやっていますよ。ご興味あれば。
にしきさん、ご丁寧なご返信をありがとうございました。 今朝、またメール講座を読み返しました。 私はまさに「迷路の構造」にハマり切っていたのだなぁ〜。だから、苦しかったのだと理解しました。 繰り返し読みたいと思います。 深いことを教えてくださり、ありがとうございました。
そうなんですね。じゃあ、もう次のステップに進むときですね。あす、そのメールをお届けします。ご覧くださいね。
にしきさん メール講座をありがとうございました。
8回のメール講座を読んでコメントして にしきさんから返信をいただいてましたが、 お陰様で一元論が腑に落ちる事が多くなったな っと、以前との視点の変化を日に日に増していってるように感じています。 ありがとうございます。
今後もYouTube、メールなど楽しみにしております。
啓子さん そうなんですね。それはおめでとうございます。思考も感情も、起こる出来事も、身体も、私という感覚も、周りの人たちも、地球も、宇宙も、すべては幻ってかんじですね。でもその背後には何一つ変わることなくずーっとあり続けている永遠の存在があるんです。誰かという主体性はもうないんですが、在る。これが一元論であり、僕らの本質です。分離は幻。本当は分離していない。ただの幻。本質だけが静かにあり続けています。それが僕らです。どうぞ引き続き探求を続けていきましょう。
いつもありがとうございます!
空として、静けさの中にいられたら、 不安という雲をただ見ているだけで いられるはずなのに、、
雲の方に一体化してしまうのか? 身体の感覚が不安に呼応してしまうので 空でいられないのがしんどいなーという感じです。
常に空の静けさにいる、 そのブレークスルーを欲しがっているわたし
そんなわたしを見つめてみても、 空のふりをしたエゴ?から抜けきれないようです、、
kazさん このメールでは、雲の背景に空がある。そしてあなたの本質は空ということがわかれば十分です。そしたら次に進めます。 今、「私」を中心に物事を見ていますよね。 だから、不安な私という雲が非常にリアルでその雲に覆われてしまう。 そのため、「いつでも私は空で在りたい」という届かない理想を目指す頑張りモードになって、逆に不安な自分にとどまるのです。 これは二元論のエゴの策略で、はまりやすいです。 あなたが空になるんじゃないんです。でもまだ僕たちは空になろうとしていますよね。 だから、次の問うのは、 「私はどうすれば空でいられるか?」ではなく、 「その“私”とは誰なのか?」と静かに問うことです。 その問いが深まると、 「私が空になるのではなく、空の中で私が生まれて消えようとしている」という事実のほうが自然に立ち上がってきます。私は現象なんです。 不安を消すでもなく、思考を止めるでもなく、空にとどまり続ける私を目指すでもなく 沈黙そのものが、私という現象を見ていたんだとわかってきます。 今までリアルに感じていた私は現象、現れ、生まれては消えゆくもの。 だけど、沈黙が本当のリアル。 この逆転が起こったとき、あなたはもう自由で解放されています。 オンラインサロン「目醒めの静寂」はまさにこの気づきを深めるために、「私は誰か?」IAMにとどまる実践を始めています。 こんな探求の道に興味があればご参加くださいね。
他にはない、本質のお話をありがとうございます!! 空の感覚を感じたくて、がんばってきました。。 静かなる私がいる、ということに気づけそうで気づけないような、、
痛みや悲しみの感覚が、 静かなる私に気付くことを邪魔するような気がします、、
なぜ静かなる私は雲のわたしを助けてくれないのか? 静かなる私は雲のわたしの感覚がわからないから、 助ける必要がないのかも。。? 雲という現象を助ける必要はない、、
雲がただの現象だと思うにはやはり 思考を止めるなどしないと難しいのか?
痛みや悲しみがあっても、 これは雲だからね、私は別にいるんだよ、 ってわかるようになるには、、? とまた思考してしまいます。。
kazさん あなたに今いちばん必要なのは一つだけ。 「その苦しんでいる私って、誰ですか?」
ありがとうございます!! 自問自答していけばいつかわかる感じですかね、、( ;∀;) すぐにでもわかりたいってのもエゴですよね、、(^_^;)
にしきさん、こんばんは!
メール講座、8回が終わっても続いていて嬉しくなりました。
感想を言葉にするのは、とても難しいですね。 言葉では言い表せないような、言葉にすると違ってしまうような、そんな気がしています。
そんな体感なのに、言葉にして伝えてくださり、本当にありがとうございます。
これからも、YouTubeなど楽しみにしています。
Seikoさん 言葉にならない何かが伝わったのですね。それでいいのです。それが探求の始まりですよね。静けさは既にここにありますよ。
ありがとうございます!!!
空に思考や感情という雲が浮かぶのも 知識としてはわかったつもりになっています。。
空は、雲があってもなくても気にならず、 ただあるということだと思うのですが、
その感覚?が掴めない感じです、、
kazさん 「空は雲があっても気にしないはず」と思うと、 「雲を気にしてしまう私」はまだダメだと思いますよね。でも大丈夫です。 雲(思考や感情)を気にしてしまうことも、 「気にしているなぁ」と気づいていることも、 そのどちらも空の中でただ起きている出来事であり、現れなんです。 「気ににならない私」 になることが空なのではありません。 空とは、「雲を気にしている私」も既に出来事として含んでいる静けさのことなんです。
第7回 思考があっても静けさはある 思考が止まっても静けさはある 思考が激しくても、静けさは何も失われていない
静けさは「思考がなくなった結果」ではなく 「常に背景として在ったもの」だと気づくのです。
この部分が印象的でした。 私は以前から自分でやろうとする事が多く、その事により更にエゴを強化していたのだと思いました。
自動的に生きている… これが腑に落ちてませんが、 そもそも探究が好きな個性なのだと思うので 気付いていくという感覚に意識を向けます。
あれ?どんな表現にしても 自分がやる、になってしまいますね(笑)
最終回も楽しみにしています。
れいこさん 「自分でやろうとしてしまう」「気づこうとしてしまう」 ・・・その動き自体も、静けさの中にふっと浮かんでは消える「出来事」なんですね。 静けさは、思考が止まったときだけにあるのではないのはご存じです。、 その「やろうとする私」や「あれ?またやってるぞ」という気づきさえも、 ぜんぶを包んで静けさはただ在り続けています。 だから大丈夫です。 私が探究したくなることも、私が気づこうとすることも、そのまま浮かばせておいて構いません。 そのすべてを見ている静けさのほうが、本当のあなたですから。
第6回メール講座を読んで。
にしきさん ありがとうございます。
物語を作るのはエゴの大きな働きだったんですね。 それならいつもいつもどっぷりとエゴで生きていた ‥という事でした。 www
意味づけ、解釈、そしてストーリーにする。 それはエゴのからくり?みたいな事として 理解できました!
今現実で大変だと思う事が起きています。 二元論にしないで一元論の視点に切り替えました。 そして常に常に静寂の中にいるようにしています。
静寂の中は今、今、にいる事かなっと 体感していて、実感があります。 その実感の時間が増えてきました。
ありがとうございました。
松尾啓子さん 「静寂の中にいるようにしています」と気づけるのは素晴らしいことです。 ただ、本当の静寂は「体感する私」が入る場所ではなく、 すべての出来事がその中で起こっている「スペース」なんです。 でも、大丈夫です。すべてはただ出来事として浮かんでは消えていきますから。
にしきさん ありがとうございます。 私達の本質は空。そこに雲が現れたり大雨が降ったり雷が落ちたり虹が架かったりする。 雨が降ったら晴れにしようと努力でコントロール しようとしてました。 ただ現れては消えてゆく。 そして静けさは既にずっとあったのですね。
エゴについて。次回も楽しみです。
テニ子さん そうですよね。雨が降ったらコントロールしてやれ、なんて幻の自分がやろうとするんですよね。でもそれは脳が作った物語で、それは不可能。 雨は理由なく降るのですから。 でも雨が降っても空は濡れることなくそこにあります。 この考えだけを持っていれば、目醒めに進めますよ。 次もお楽しみに。
にしきさんはじめまして、いつもありがとうございます!
超意識で生きるって最近多く見るようになったものの、 中身は秘密でわかりにくいなーと思っていました。
たまたまにしきさんの動画で、めちゃめちゃ響いて、正にこんな解説が知りたかったのよ!って思いました。 勿体ぶらず、こんなメルマガも読ませて貰えて嬉しいです!
とはいえ、かなり長い間引き寄せも知識だけあって、全く効果がなくて、むしろ辛い日々になっていて、、 …という映画があまりにリアルでなかなか抜け出せません。そういう仕組みの地球にムカついています。。
わたし、というエゴ?が目醒めたがってる、ってのも正に!で。魂すらも超えた本当の私、宇宙、を感じていたいです。
kazさん そうですね、超意識、引き寄せ、地球、魂、エゴ、宇宙とたくさん幻の雲が浮かんでいますね。 でもその背景になっている空は、変わらず静かにずっとそこにある。 それがあなたなんです。
第五回メール講座を読んで。
起きた思考をただ見る。 感情が湧いたらただある。 何もコントロールしようとしない。
を常に意識する事ができると 目醒めの感覚に気付けるのではないのかな と思いました。
そして第六回の「エゴとは何なのか?」 とても興味があります! 次回も楽しみにしています。
啓子さん そうです。何も変えずにただ見る、気づいている、というところが目醒めの最初の一歩です。次もどうぞお楽しみに。
にしきさん、ありがとうございます。 第4回の内容、今まで幾度となく聞いてきたことで、 真実はそうなっていると思うのです。 ですが、日常生活に戻るといつもそれどころではなくなってしまいます。 真実はそうなのかもしれないけど、この「私」が生きている世界は 相変わらずこの二元の世界だからです。起こっていること自体は 良いも悪いもないのでしょうが、 日常で大変だと思うことがあれば思い悩み、何かが起これば 「私」にとって良いか悪いかを相変わらずジャッジしています。 こういったことを見聞きしてその通りだと思っても、いつもここでまた 元の木阿弥となって、そこをループしています。 「気づくだけでいい」と言っても、生活はそれでは回っていかないし 「私」が采配しないとという強い思い込みが拭えません。 まさしくループにはまっています。
たかこさん コメントありがとうございます。 とても丁寧にご自身を見てますね。 これまでスピリチュアルの世界で、「ジャッジがいけない」「恐れがいけない」と言われ続けてきたので、またそれかと脳が自動反応を起こしていますね。でもここで言っているのはそれではないんです。 日常で「良い・悪い」とジャッジしてしまうことや、 生活を回すために「私が采配しなければ」という思いが出るのは、ごく自然なことです。 それは悪いことでもないし、それが目醒めを止めているわけでもないんです。 「できない自分」をよくする努力はいりません。それはスピ的覚醒=二元論の発想です。 深い目醒め=一元論が言うのはそれではないんです。スピでよく聞く「すべては一つ」とも違います。 ループをするのが悪いのではない。 そのループする自分を、深いところで見ている存在がある。 それがあなたです。 そのあなたはもう目醒めて、静かです。 3次元の生き方が悪いワケじゃない。 この深い視点に気づいてそこから見ていることに気づいたら、目醒めです。 努力も理解も自分を変える必要もありません。自分はいませんから。 ただ気づくだけです。
にしきさん はじめまして。 せっかく場を用意して下さっているので、恥ずかしながらコメントしてみます。 あまり気付きもなく、日々変わらず、最初から目醒めているのなら早く体感して腑に落としたい、楽になりたいというのが本音です。 めげそうになりますが、↑の気持ちを淡々と観察してみます。 あと文字にするのってなんだか良いですね。
まこさん 恥ずかしがる必要はありません。 「気づきがない」「体感したい」「楽になりたい」… そのすべてが「私」の思考です。 それを見ている「何か」は、変わらず在るでしょう? それがあなたの本質です。 目醒めようとする「私」は、ただの幻です。 現れのあなたは迷っていても 見る者は、既に目醒めていますよ。
第4回メール講座を読んで。
にしきさんありがとうございます。
一元論の説明がわかりやすくて 納得しました。 二元論で生きていた事がわかりました。 そして一元論で生きたいと思っています。
二元論の視点から一元論の視点に 変えていくのに考え方の変換が必要だと思っています。 その為に一元論の考え方をノートに書きだしました。
次回の どうすれば実際に「一元の視点」に気づくことができるのかのテーマを楽しみにしています。
ありがとうございました!
啓子さん とても丁寧に取り組まれていますね。 一元論は、確かに頭で整理しておくと理解が深まりますが、 本質的には「視点」がが変わるような感覚なんです。 「二元論で生きていた」と気づけたこと自体が、もう一元の視点に触れ始めています。 次のメールで、その気づきが自然に深まる方向を一緒に見ていきましょう。 ※コメントは手動承認のため、表示までお時間がかかることがあります。
毎回いろんな気づきをありがとうございます。 スピ系目覚めをしてもしても抜けられないから違うなと感じてました。去年から体調不良になり、強制終了となったことがきっかけで、なんとなく深い系をやっていたと気づかされました。体調が良くない(胸のもやもや、背中のこり、関節痛等)のも観照するだけでいいのでしょうか?
体の不調や「強制終了」も、感情や思考と同じように、ただの「現れ」として見てあげれば大丈夫です。 「良くしよう」「変えよう」とせず、 胸のもやもやが起きていることに気づいている… その「気づき」のほうが既に静けさなんです。 なおせっかくですので医者にも行ってくださいね。
メール講座第3回を読んで。 にしきさん、ありがとうございます。
今回のメール講座のスピ的目醒めと 深い目醒めの違いがとてもわかりやすかったです。 そして自分がスピ的目醒めにいるのがはっきりとわかりました! 私の感覚はスピ的目醒めだったのだと認識しました。 そしてチェックは見事に全部に当てはまりました。 スピ的目醒めと深い目醒めの違いが腑に落ちました。 すごく嬉しいです! 自分がスピ的目醒めにいたという事がわかったので 深い目醒めを知る事ができるように感じています。
第4回のメール講座を楽しみにしています!
啓子さん ですよね、全部該当とはお見事! その逆が深い目醒めです。 スピ的目醒めは迷路、深い目醒めが出口なんです。深い目醒めのほうに行きましょうね!
いつもありがとうございます! 私とゆう「前提」を解体する、とても楽しみです。 そして既に目覚めていたのですね! 知りませんでした。
今まで「目覚め」に興味はあっても、どのように考えていいのか分からなかったので、メール講座を大切に読ませていただきます。よろしくお願いいたします。
そうですよね。「私が目醒める」のではなく「目醒めしかなかった」のですよね。理屈は面白いし私の解体にも役立ちますが、マインドを強くしてしまう弊害もあります。だから、理解はいらないのも本当です。だってもう目醒めていますから。よかったらメールでもお付き合いください。
にしきさん いつもありがとうございます!
観察する私
もエゴだった…!!
背景としてある
という感覚がまだわかりません、、
うわー、、 背景としてある、って どんな感じなんだろう、、
って言ってるこれもエゴですし、、
背景としてある、 という感覚?で生きている人、 結局どうやって?瞑想?? と気になります、、 気になるのもエゴですね、、
kazさん そうですよね、互いに共通の言葉がないんですよね。だから伝わりにくい。しかも目醒めはしばしば言葉を超えています。 そもそも何を知りたいかがこのコメントからはわかりにくいのですが、 「背景」と僕が言うときは、思考や感情は出来事で雲のように勝手に浮かんでは消えていくんですが、その出来事の背景に常に空がありますよね。 僕らはその変わらない空だよ、という言い方をします。 あるいは映画のスクリーンが僕たちだよとも言っています。 別の言い方をすると、今あなたは息をしているじゃないですか。 息という出来事が起こっていますよね。 それは、あなたがお部屋のいるからじゃないですか。 あなたは肉体じゃなくて、お部屋の空間のほうだよ、といってもいいです。これが背景の別の表現です。 これ比喩なので、実際に映画のスクリーンみたいに薄くなれ、って話じゃないです笑 ただし、このメール講座でも実践的にも瞑想の話はしていませんから瞑想のことじゃないです。 特別な方法があるんじゃないんです。努力や修行で気づくものでもない。 どうやって?と考えるのは、エゴのレベル。 実際は方法じゃなくて、「視点の深まり」で目醒めに「気づく」んです。 目醒めというすごい体験が起こるんじゃないんです。 ここも非常に伝わりにくいところです。
メール講座2回目を読んで。 にしきさん ありがとうございます。
3つの前提(迷路の構造)の中にいる事が理解できました。 ほんとにそうだと思いました。 その事に自覚できていませんでした。 迷路のように彷徨ってたんですね。 でも迷路を理解はできたけど迷路の中にいる 自分を「掴めない」「わかっていない」 感覚でいます。
啓子さん そうですよね。3次元世界って二元論に基づく迷路ですよね。 だから出口がない。 しかも、迷路のなかにいる自分さえ幻だったりします。 だから、迷路の出口を探すというよりは、それが全部嘘だったと見抜く方向ですかね。 次もどうぞお楽しみに。
にしきさん、いつもありがとうございます。 にしきさんのおっしゃること、深いところに響いてくる感じがします。 「私」どうこうするんじゃない、ということが最近になってやっと 分かってきたように思うのですが、私には「静けさ」というのが分からないというか 感じられません。「静寂」というものを少しでも感じられたらなぁと思います。
たかこさん 静寂だけでなく、スピ的なものも感じにくいんじゃないかと思います。それは、このメール講座の第一回でお伝えしたとおり、「私」があって、「私」が成長して、「私」がつかむ、という前提があるからです。静けさなどの本質は、その何かを行ってつかもうとする自分(エゴ)が薄れたとき、自然と気づくものなんです。 ですから、このメール講座で、「私」という前提を解体すると、自然と感じられるようになります。どうぞお付き合いください。
錦織さん メール講座をありがとうございます。 1回目のメールを読んで。
「今私は目醒めて生きたいと思っています。」 そう思っているという事はまだ私は目醒めていないと思っているんだなっ と思いました。 なんか「はっ」としました!
私たちは既に目醒めているという事ですよね。 そう思えない私がいるのを感じました。
松尾啓子さん そうなんです。眠り→目醒めが起こるわけじゃなくて(誤)、元々僕らは目醒めた存在。眠っていることは一度もなかったのです(正)。 なのに、目醒めていると思えない。それがこのメール講座の大きなテーマです。 どうぞ最後までお付き合いくださいね。
にしきさん、メール講座の配信して頂いて、ありがとうございます! まさに、私が選んでいて、もっと成長しなきゃ、ゴールは先にある、と思っていました…。
最近、にしきさんの動画やワークをしていたら、ハイヤーセルフが浮かんできました。 (雲の上でポテチは食べていませんでしたが)白い空間から3Dのような沢山の現実を見ていました。その現実が白く浮かんで幻のようでした。
ハイヤーセルフが浮かんだ時は、すごく安心します。 ただ、毎日の忙しさの中で過ごすうちに、その感覚が薄れてきました。。
コメントありがとうございます。 ハイヤーセルフのような体験は、とても安心感をくれますよね。 でも実は、安心は「ハイヤーセルフがくれる」のではなく、 その体験の奥にある静けさそのものが安心なんです。 だから体験のイメージが薄れても大丈夫。 静けさ(安心)は、最初からずっと在ります。
にしきさん、はじめまして。 メール講座1回目を読ませていただきました。 まさに、迷路にはまっていたと気づきました。
毎日、自動で生きていたのに全く気づいていませんでした。
じゃあ誰が動かしているの?という疑問が出たところでハッとしました。
残りの講座も楽しみにしています。 ありがとうございます!
Seikoさん はじめまして。 メール講座を読んで、そこまで深く感じていただけたこと、とてもうれしいです。 「自動で生きていた」「じゃあ誰が動かしてるの?」 この問いが迷路の外側に触れ始めた瞬間ですね。 講座の続きを通して、ゆっくり一緒に探っていきましょう
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素晴らしいメール講座をありがとうございます。
2つの目覚めの違い、構造、仕組みがハッキリ分かった事が嬉しいです。
ずっと自己探求を続けてきて、深い自己否定、世界を恐れ拒絶してきた自分を癒し、やっと自分を取り戻し、「自分軸」で生きようというところに辿り着いたからこそ、「自分はいない」という次の段階に行けるようになったのではと、思っています。
動画も拝見していますが、この講座で、さらに理解を深め、それを体験を通して腑に落としていく事が起こってくるといいなぁと思っています。
よろしくお願いします。
京子さん これまでたくさんの努力や癒しを重ねてこられたんですね。
そこで起きてきた心の回復も、とても大切な体験だったと思います。
ただ、ひとつだけ大事なことがあります。
「自分軸を取り戻したから次の段階として自分がいないへ進める」
という構造ではないんです。
深い目醒めには段階がありません。
「次に進む私」という成長・努力の物語をそっと手放したときに、
既に在る静けさがそのまま立ち上がってくるんです。
このメール講座や動画でお伝えしているのは、
その既に在るものに戻るための、とてもシンプルな視点です。
理解を深めようとしなくて大丈夫ですよ。
深めようとすると、また「成長する私」の物語に戻ってしまいますから。
ただ見えることが見え、ただ在ることが在る。
それだけで十分なんです。
にしきさん、お返事ありがとうございます。
長年染みついた二元論的在り方は、自分では気づきずらい無意識に発する言葉に現れますね。
今までずっと、学んで理解を深めて成長してゆこうということばかり考えてきてましたので。
それでやっと、「なんか、もういいかな。肩の力を抜いて、リラックスしよう。シンプルに、簡単に生きよう。」という気持ちになってきたところです。
今日のメール講座で、二元論と一元論の違いを確認できました。
最近「自分が失くなれば、宇宙のすべてが自分になる」とか「宇宙には自分一人しかいない」という言葉を目にするようになって、「そうは言っても、そう思えないよなぁ。でもそう思えるようになれたら」と思っていたので、いいタイミングでにしきさんに出会えて嬉しいです。
ありがとうございます。
京子さん 二元論の世界で、頑張る物語を生きてきたんですね。
「力を抜いて、シンプルに生きよう」は、本質に近づく方向です。
ひとつだけ、大切なところをそっと確認させてください。
「自分がなくなれば宇宙がすべて自分になる」
「宇宙には自分一人しかいない」
こういう言葉は、悟りでも目醒めでもないんです。
まったく逆で、エゴが最大限にまで肥大化した状態ですよね。
このメール講座をご覧になった京子さんなら、この言葉のズレがわかるんじゃないでしょうか。
自分が消える先に宇宙があるわけじゃないし、
「特別な理解」に到達した人だけが覚醒できるわけでもないですよね。
僕らは映画のスクリーンで、そのスクリーンに「宇宙」「私」「宇宙には自分一人しかいない」といった映画が上映されているのですよね。
僕らはずーっと映画のスクリーンでした。
目醒めは、「宇宙や自分という映画が、ただスクリーンに映っていただけだった」
という事実に静かに戻ることです。
そのシンプルさは、
京子さんが感じている「力を抜く方向」とぴったり重なります。
メール講座が、そのきっかけになれたらうれしいです。
「努力して手に入れるのではなく、すでに在ることに気づく。」
「幸せになりたい」と思うと、まだ幸せでない現実をつくる。
という事を知識としては知っていても、潜在意識の中にある、頑張らないとだめ。という信念が強すぎて、無意識のうちに努力して何かを得ようとし続けてきたわけです。
そこからぬけだすには、まず構造や仕組みを理解して、自分に何が起こっていたのかにハッキリ気づく事なのだと思います。
今回の講座で、「今の自分は不十分。足りないという前提だった!」という事が身に沁みてわかるような気がしました。
京子さん 気づけたのは大きいですね。
その前提に気づくと、自然に力が抜けていきます。
既に在るほうは、ずっと変わらずありますよ。
エゴなんでも物語にする。出来事に意味や解釈をつける。
まったく、その通り。ずっとそれをやり続けて頭が休まる事がなかったなぁと思います。
今日、ハッキリ気づいた事は、私は自分のフィルターを通して、人や物事を見ていたという事。しかもそのフィルターって、周りからの影響によって作られたもので、歪んでいたり濁っていたりする。
そのフィルターの汚れをきれいにしていくことで、本来の私が現れてくる。
周りの人や物事を、ありのままに観る事ができるようになる。
というか、そのそのフィルターの事を「私」だと思ってたんだなぁ。
京子さん 思うことがありますよね。
ただ一つだけ・・
「フィルターをきれいにして本来の私が出る」 というより(それが成長物語)、
フィルターする前から私は既にあるんですよね。
だから、フィルターがあってもなくても、直しても直さなくても、
ただ、フィルターが勝手に現れては消えていく様子を観ているだけで十分なんです。
その静けさのほうは、最初から変わりません。
思考は勝手に起きて勝手に消えてゆくだけ、ただの出来事。
怒りや不安、呼吸と同じ。「自然現象」
え~っ!そうなんだ。自然現象!なんだ!
今まで感情は、自然現象という捉え方をしていたけれど思考もそうだったのか!
そのように教えていただけた事で、ほぐれてゆるむような感覚がありました。
今まで、何かに気づけた時に、少しゆるむような感じ、意識が広がったような感じがありましたが、それって「本当の気づきなのかなぁ?」
京子さん そうなんですよね。
思考だけでなく、感情も身体感覚も出来事そのものも、
全部ただ起きては消えていく自然現象です。因果関係はないんです。
そして「気づけた」という感覚も、
実は「あなたが気づいた」わけではなく、
勝手に起きた自然現象なんです。
だから、それが本当の気づきかどうかを判断しなくても大丈夫。
気づきも、ゆるみも、広がりの感じも、
すべてはただ現れては消えていくものです。
あなたの本質は、その流れに影響されない静けさのほうですよ。
はじめまして。
メール講座の「スピリチュアルな目覚め「と「深い目覚め」の違いが、にしきさんの説明ではっきりわかりました。
とても鋭いところを突いていて、わかりやすい説明だと思います。
私自身は以前から「深い目覚め」に関心がありましたが、これまで学んできたところは両方がごちゃ混ぜになったような教えもあって混乱しました。教えている方たちの中でも混乱しているような気がします。
今回はっきりと整理できたので嬉しくてコメントを入れされていただきました。
「私」という構造を「握る」のではなくただ「見る」のです。
これがすべてですね。
これからのメール講座も楽しみにしています。ありがとうございます。
yukiさん 目醒めというとき、日本ではスピリチュアルな目醒めがほとんどです。よくて、スピリチュアルな目醒めと、深い目醒めが混ざって語られています。
ですので、この違いをはっきり認識すると、もう迷わないし間違えないと思いますよ。
発信側もわかっていないこともありますが、スピリチュアルな覚醒では、そこに「癒すべき人」がいるんです。だからヒーリング系の方は、いろんな教えが混ざってしまいがちです。
深い目醒めでは、癒すべき人はそもそも存在しない幻と見ます。なので、僕は人を癒そうとはしません。
方向性がまったく違いますよね。
そして、おっしゃるとおり、
エゴは握るのではなく、ただ見る。
「私」という構造を変えようとするのではなく、
その「私という働き」に気づいているだけでいいんです。
それだけで自然と、深いほうへ向かっていきます。
でも、僕らのなかに、「私がよくなる」「私が成長する」という発想は根深く、それが苦しみを作ります。
この染みついた「私」の感覚にも、このあとのメールで注意してくださいね。
にしきさん、先日は返信をありがとうございました。
今日のメール講座の「エゴの物語」も深く納得です。私も何か出来事が起きるとすぐに意味付けが始まって、そこへ巻き込まれていました。それは物語の主人公になり切ってしまっているということですよね。
それが物語であると知識でわかっているつもりでも、気が付くとそこへ引きずられていました。離れた視点で俯瞰するというのが難しかったです。
でも、このところ、にしきさんの説かれる「上映されている映画とスクリーン」の関係がだんだん腑に落ちてきてきました。こうしている今でも、意識をスクリーンのほうに移すと、本当に自分やすべてが登場人物である役者に見えてきて不思議な感覚を味わっています。スクリーンはすごく広くて静かに在るという感覚です。
目覚めとは、何かを変えようとすることではなく何もかもそのままで、ただ映画からスクリーンに意識をシフトさせるような感じと理解していいのでしょうか?
yukiさん 丁寧に向き合われていますね。
ただ、一つだけ大切なポイントがあります。
あなたが言う
「スクリーンに意識をシフトさせる」
これは、実は少しだけ誤解なんです。
スクリーン(静けさ)に「移動する私」はいないんです。
「スクリーンに行こうとしている私」そのものが、
映画の登場人物=物語側なんですね。
本当は、
映画のスクリーンは最初からずっと在って、
そのスクリーンが映画に夢中になっていただけ。
だから、意識を操作したり、
シフトさせようとしなくて大丈夫です。
映画(私の物語)がどう動いても、
その背後で変わらず在る静けさ…
それがあなたの本質です。
にしきさん
ご丁寧なお返事をありがとうございます。
おっしゃっていることがとてもよくわかりました。
スクリーンはそこに行こうとしなくてもただそこに在るのに
私は「意識をシフトする」という行為で私を存在させているのですよね。
お聞きしてみてよかったです。
まだまだ「私」について思い違いをしているかもしれません。
自我の私が頑張って何かをしていくという習慣から抜け出すのはなかなか難しいことなの
かもしれません。
にしきさんの動画や講座でゆっくり落としていきたいと思います。
にしきさんの説かれる教えはわかりやすく温かく優しくて心に響きます。
心からありがとうございます。
雲の背景に空がある。そしてあなたの本質は空
このことは今まで何度も聞いているのですが、それが感じられないので
ずっと苦しいままです。「現れ」である「私」からの視点しかないんです。
「私」が空になるんじゃない。空の中に「私」が現れている
そのことが頭の理解でしかないのがツライです。
たかこさん 何度聞いてもまったく「私の」体感は変わらないというのですね。
そもそも、目醒めや静けさは感じるものではないからです。
視点の移動です。
でも、その「空を感じられない」が目醒めの入り口になっていますよ。それは失敗じゃないです。
今、「空を感じられない」ということに気づいている誰かがいるじゃないですか?
その「気づいている誰か」は、もう静けさの側、空の側なのです。
「空を感じられない、苦しい」というのは空に浮かんだ雲。
でもあなたは同時にそれに今気づいていますよね。
気づいているとき、あなたはもう空の側にいるんです。
これです!
そして、この感覚にいると、だんだん私という感覚が薄くなっていき、不安に影響されず、不安が出にくくなります。
いつか、空のほうがリアルになる。
「あれ、今まで何悩んでいたんだろう?」という感じになります。
これが自己探求の道です。
にしきさん、はじめまして。
8回のメール講座をありがとうございました。大変興味深く読ませて頂きました。
瞑想を3年くらいやって、本をたくさん読みました。いままでの人生が生きづらいものでしたので、いつしか目覚めたいと思うようになったのだと思います。
これはエゴの物語ですが‥なんどか不思議な体験もして、体感も頻繁にありますが、いま、慢性的な身体の痛みがあり、なかなか身体の感覚から離れられないのが辛いです。
痛みを離れて気づいていよう、とか、ネガティブな気分になってるな‥と、思考にいちいつツッコミをいれてしまいます。気づいてはいますが、これもジャッジですよね。
関連本の読書や瞑想をやっていないと体感が薄れてしまうようで、やめられないのかもしれません。
こうして書いていると、やはり、辿り着こうと焦る自分が前に出ていることがわかります。
身体の痛みを、どのように見ればよいのか。
他者の気持ちを優先してしまうところが子どもの頃からずっとあって、他者との関わり方、距離の取り方に迷います。
にしきさんのメールを読んでいると、深く納得できるのですが、日常のなかでの在り方に迷いが出ています。
うたのき あかねさん 日常での人との距離感や、どう生きたらいいのかという迷い・・・それはとてもリアルで、長く続いてきた雲のような感覚ですよね。
でも、大事なのは「その迷いに気づいているあなた」が、既に静けさの側にいるということです。
目醒めとは、「迷いが消えること」ではなく、迷いすら静けさの中の出来事だと気づくことです。
そこに気づいたとき、少しずつ「迷いから生きる」のではなく、「静けさから生きる」という感覚が、自然に立ち上がってきます。焦らなくて大丈夫です。サロンでは「静けさから生きる」実践もやっていますよ。ご興味あれば。
にしきさん、ご丁寧なご返信をありがとうございました。
今朝、またメール講座を読み返しました。
私はまさに「迷路の構造」にハマり切っていたのだなぁ〜。だから、苦しかったのだと理解しました。
繰り返し読みたいと思います。
深いことを教えてくださり、ありがとうございました。
そうなんですね。じゃあ、もう次のステップに進むときですね。あす、そのメールをお届けします。ご覧くださいね。
にしきさん
メール講座をありがとうございました。
8回のメール講座を読んでコメントして
にしきさんから返信をいただいてましたが、
お陰様で一元論が腑に落ちる事が多くなったな
っと、以前との視点の変化を日に日に増していってるように感じています。
ありがとうございます。
今後もYouTube、メールなど楽しみにしております。
啓子さん そうなんですね。それはおめでとうございます。思考も感情も、起こる出来事も、身体も、私という感覚も、周りの人たちも、地球も、宇宙も、すべては幻ってかんじですね。でもその背後には何一つ変わることなくずーっとあり続けている永遠の存在があるんです。誰かという主体性はもうないんですが、在る。これが一元論であり、僕らの本質です。分離は幻。本当は分離していない。ただの幻。本質だけが静かにあり続けています。それが僕らです。どうぞ引き続き探求を続けていきましょう。
いつもありがとうございます!
空として、静けさの中にいられたら、
不安という雲をただ見ているだけで
いられるはずなのに、、
雲の方に一体化してしまうのか?
身体の感覚が不安に呼応してしまうので
空でいられないのがしんどいなーという感じです。
常に空の静けさにいる、
そのブレークスルーを欲しがっているわたし
そんなわたしを見つめてみても、
空のふりをしたエゴ?から抜けきれないようです、、
kazさん このメールでは、雲の背景に空がある。そしてあなたの本質は空ということがわかれば十分です。そしたら次に進めます。
今、「私」を中心に物事を見ていますよね。
だから、不安な私という雲が非常にリアルでその雲に覆われてしまう。
そのため、「いつでも私は空で在りたい」という届かない理想を目指す頑張りモードになって、逆に不安な自分にとどまるのです。
これは二元論のエゴの策略で、はまりやすいです。
あなたが空になるんじゃないんです。でもまだ僕たちは空になろうとしていますよね。
だから、次の問うのは、
「私はどうすれば空でいられるか?」ではなく、
「その“私”とは誰なのか?」と静かに問うことです。
その問いが深まると、
「私が空になるのではなく、空の中で私が生まれて消えようとしている」という事実のほうが自然に立ち上がってきます。私は現象なんです。
不安を消すでもなく、思考を止めるでもなく、空にとどまり続ける私を目指すでもなく
沈黙そのものが、私という現象を見ていたんだとわかってきます。
今までリアルに感じていた私は現象、現れ、生まれては消えゆくもの。
だけど、沈黙が本当のリアル。
この逆転が起こったとき、あなたはもう自由で解放されています。
オンラインサロン「目醒めの静寂」はまさにこの気づきを深めるために、「私は誰か?」IAMにとどまる実践を始めています。
こんな探求の道に興味があればご参加くださいね。
他にはない、本質のお話をありがとうございます!!
空の感覚を感じたくて、がんばってきました。。
静かなる私がいる、ということに気づけそうで気づけないような、、
痛みや悲しみの感覚が、
静かなる私に気付くことを邪魔するような気がします、、
なぜ静かなる私は雲のわたしを助けてくれないのか?
静かなる私は雲のわたしの感覚がわからないから、
助ける必要がないのかも。。?
雲という現象を助ける必要はない、、
雲がただの現象だと思うにはやはり
思考を止めるなどしないと難しいのか?
痛みや悲しみがあっても、
これは雲だからね、私は別にいるんだよ、
ってわかるようになるには、、?
とまた思考してしまいます。。
kazさん あなたに今いちばん必要なのは一つだけ。
「その苦しんでいる私って、誰ですか?」
ありがとうございます!!
自問自答していけばいつかわかる感じですかね、、( ;∀;)
すぐにでもわかりたいってのもエゴですよね、、(^_^;)
にしきさん、こんばんは!
メール講座、8回が終わっても続いていて嬉しくなりました。
感想を言葉にするのは、とても難しいですね。
言葉では言い表せないような、言葉にすると違ってしまうような、そんな気がしています。
そんな体感なのに、言葉にして伝えてくださり、本当にありがとうございます。
これからも、YouTubeなど楽しみにしています。
Seikoさん 言葉にならない何かが伝わったのですね。それでいいのです。それが探求の始まりですよね。静けさは既にここにありますよ。
ありがとうございます!!!
空に思考や感情という雲が浮かぶのも
知識としてはわかったつもりになっています。。
空は、雲があってもなくても気にならず、
ただあるということだと思うのですが、
その感覚?が掴めない感じです、、
kazさん 「空は雲があっても気にしないはず」と思うと、
「雲を気にしてしまう私」はまだダメだと思いますよね。でも大丈夫です。
雲(思考や感情)を気にしてしまうことも、
「気にしているなぁ」と気づいていることも、
そのどちらも空の中でただ起きている出来事であり、現れなんです。
「気ににならない私」 になることが空なのではありません。
空とは、「雲を気にしている私」も既に出来事として含んでいる静けさのことなんです。
第7回
思考があっても静けさはある
思考が止まっても静けさはある
思考が激しくても、静けさは何も失われていない
静けさは「思考がなくなった結果」ではなく
「常に背景として在ったもの」だと気づくのです。
この部分が印象的でした。
私は以前から自分でやろうとする事が多く、その事により更にエゴを強化していたのだと思いました。
自動的に生きている…
これが腑に落ちてませんが、
そもそも探究が好きな個性なのだと思うので
気付いていくという感覚に意識を向けます。
あれ?どんな表現にしても
自分がやる、になってしまいますね(笑)
最終回も楽しみにしています。
れいこさん 「自分でやろうとしてしまう」「気づこうとしてしまう」
・・・その動き自体も、静けさの中にふっと浮かんでは消える「出来事」なんですね。
静けさは、思考が止まったときだけにあるのではないのはご存じです。、
その「やろうとする私」や「あれ?またやってるぞ」という気づきさえも、
ぜんぶを包んで静けさはただ在り続けています。
だから大丈夫です。
私が探究したくなることも、私が気づこうとすることも、そのまま浮かばせておいて構いません。
そのすべてを見ている静けさのほうが、本当のあなたですから。
第6回メール講座を読んで。
にしきさん
ありがとうございます。
物語を作るのはエゴの大きな働きだったんですね。
それならいつもいつもどっぷりとエゴで生きていた
‥という事でした。 www
意味づけ、解釈、そしてストーリーにする。
それはエゴのからくり?みたいな事として
理解できました!
今現実で大変だと思う事が起きています。
二元論にしないで一元論の視点に切り替えました。
そして常に常に静寂の中にいるようにしています。
静寂の中は今、今、にいる事かなっと
体感していて、実感があります。
その実感の時間が増えてきました。
ありがとうございました。
松尾啓子さん 「静寂の中にいるようにしています」と気づけるのは素晴らしいことです。
ただ、本当の静寂は「体感する私」が入る場所ではなく、
すべての出来事がその中で起こっている「スペース」なんです。
でも、大丈夫です。すべてはただ出来事として浮かんでは消えていきますから。
にしきさん
ありがとうございます。
私達の本質は空。そこに雲が現れたり大雨が降ったり雷が落ちたり虹が架かったりする。
雨が降ったら晴れにしようと努力でコントロール
しようとしてました。
ただ現れては消えてゆく。
そして静けさは既にずっとあったのですね。
エゴについて。次回も楽しみです。
テニ子さん そうですよね。雨が降ったらコントロールしてやれ、なんて幻の自分がやろうとするんですよね。でもそれは脳が作った物語で、それは不可能。
雨は理由なく降るのですから。
でも雨が降っても空は濡れることなくそこにあります。
この考えだけを持っていれば、目醒めに進めますよ。
次もお楽しみに。
にしきさんはじめまして、いつもありがとうございます!
超意識で生きるって最近多く見るようになったものの、
中身は秘密でわかりにくいなーと思っていました。
たまたまにしきさんの動画で、めちゃめちゃ響いて、正にこんな解説が知りたかったのよ!って思いました。
勿体ぶらず、こんなメルマガも読ませて貰えて嬉しいです!
とはいえ、かなり長い間引き寄せも知識だけあって、全く効果がなくて、むしろ辛い日々になっていて、、
…という映画があまりにリアルでなかなか抜け出せません。そういう仕組みの地球にムカついています。。
わたし、というエゴ?が目醒めたがってる、ってのも正に!で。魂すらも超えた本当の私、宇宙、を感じていたいです。
kazさん そうですね、超意識、引き寄せ、地球、魂、エゴ、宇宙とたくさん幻の雲が浮かんでいますね。
でもその背景になっている空は、変わらず静かにずっとそこにある。
それがあなたなんです。
第五回メール講座を読んで。
にしきさん
ありがとうございます。
起きた思考をただ見る。
感情が湧いたらただある。
何もコントロールしようとしない。
を常に意識する事ができると
目醒めの感覚に気付けるのではないのかな
と思いました。
そして第六回の「エゴとは何なのか?」
とても興味があります!
次回も楽しみにしています。
ありがとうございました。
啓子さん そうです。何も変えずにただ見る、気づいている、というところが目醒めの最初の一歩です。次もどうぞお楽しみに。
にしきさん、ありがとうございます。
第4回の内容、今まで幾度となく聞いてきたことで、
真実はそうなっていると思うのです。
ですが、日常生活に戻るといつもそれどころではなくなってしまいます。
真実はそうなのかもしれないけど、この「私」が生きている世界は
相変わらずこの二元の世界だからです。起こっていること自体は
良いも悪いもないのでしょうが、
日常で大変だと思うことがあれば思い悩み、何かが起これば
「私」にとって良いか悪いかを相変わらずジャッジしています。
こういったことを見聞きしてその通りだと思っても、いつもここでまた
元の木阿弥となって、そこをループしています。
「気づくだけでいい」と言っても、生活はそれでは回っていかないし
「私」が采配しないとという強い思い込みが拭えません。
まさしくループにはまっています。
たかこさん コメントありがとうございます。
とても丁寧にご自身を見てますね。
これまでスピリチュアルの世界で、「ジャッジがいけない」「恐れがいけない」と言われ続けてきたので、またそれかと脳が自動反応を起こしていますね。でもここで言っているのはそれではないんです。
日常で「良い・悪い」とジャッジしてしまうことや、
生活を回すために「私が采配しなければ」という思いが出るのは、ごく自然なことです。
それは悪いことでもないし、それが目醒めを止めているわけでもないんです。
「できない自分」をよくする努力はいりません。それはスピ的覚醒=二元論の発想です。
深い目醒め=一元論が言うのはそれではないんです。スピでよく聞く「すべては一つ」とも違います。
ループをするのが悪いのではない。
そのループする自分を、深いところで見ている存在がある。
それがあなたです。
そのあなたはもう目醒めて、静かです。
3次元の生き方が悪いワケじゃない。
この深い視点に気づいてそこから見ていることに気づいたら、目醒めです。
努力も理解も自分を変える必要もありません。自分はいませんから。
ただ気づくだけです。
にしきさん
はじめまして。
せっかく場を用意して下さっているので、恥ずかしながらコメントしてみます。
あまり気付きもなく、日々変わらず、最初から目醒めているのなら早く体感して腑に落としたい、楽になりたいというのが本音です。
めげそうになりますが、↑の気持ちを淡々と観察してみます。
あと文字にするのってなんだか良いですね。
まこさん 恥ずかしがる必要はありません。
「気づきがない」「体感したい」「楽になりたい」…
そのすべてが「私」の思考です。
それを見ている「何か」は、変わらず在るでしょう?
それがあなたの本質です。
目醒めようとする「私」は、ただの幻です。
現れのあなたは迷っていても
見る者は、既に目醒めていますよ。
第4回メール講座を読んで。
にしきさんありがとうございます。
一元論の説明がわかりやすくて
納得しました。
二元論で生きていた事がわかりました。
そして一元論で生きたいと思っています。
二元論の視点から一元論の視点に
変えていくのに考え方の変換が必要だと思っています。
その為に一元論の考え方をノートに書きだしました。
次回の
どうすれば実際に「一元の視点」に気づくことができるのかのテーマを楽しみにしています。
ありがとうございました!
啓子さん とても丁寧に取り組まれていますね。
一元論は、確かに頭で整理しておくと理解が深まりますが、
本質的には「視点」がが変わるような感覚なんです。
「二元論で生きていた」と気づけたこと自体が、もう一元の視点に触れ始めています。
次のメールで、その気づきが自然に深まる方向を一緒に見ていきましょう。
※コメントは手動承認のため、表示までお時間がかかることがあります。
毎回いろんな気づきをありがとうございます。
スピ系目覚めをしてもしても抜けられないから違うなと感じてました。去年から体調不良になり、強制終了となったことがきっかけで、なんとなく深い系をやっていたと気づかされました。体調が良くない(胸のもやもや、背中のこり、関節痛等)のも観照するだけでいいのでしょうか?
体の不調や「強制終了」も、感情や思考と同じように、ただの「現れ」として見てあげれば大丈夫です。
「良くしよう」「変えよう」とせず、
胸のもやもやが起きていることに気づいている…
その「気づき」のほうが既に静けさなんです。
なおせっかくですので医者にも行ってくださいね。
メール講座第3回を読んで。
にしきさん、ありがとうございます。
今回のメール講座のスピ的目醒めと
深い目醒めの違いがとてもわかりやすかったです。
そして自分がスピ的目醒めにいるのがはっきりとわかりました!
私の感覚はスピ的目醒めだったのだと認識しました。
そしてチェックは見事に全部に当てはまりました。
スピ的目醒めと深い目醒めの違いが腑に落ちました。
すごく嬉しいです!
自分がスピ的目醒めにいたという事がわかったので
深い目醒めを知る事ができるように感じています。
第4回のメール講座を楽しみにしています!
ありがとうございました。
啓子さん ですよね、全部該当とはお見事! その逆が深い目醒めです。
スピ的目醒めは迷路、深い目醒めが出口なんです。深い目醒めのほうに行きましょうね!
いつもありがとうございます!
私とゆう「前提」を解体する、とても楽しみです。
そして既に目覚めていたのですね!
知りませんでした。
今まで「目覚め」に興味はあっても、どのように考えていいのか分からなかったので、メール講座を大切に読ませていただきます。よろしくお願いいたします。
そうですよね。「私が目醒める」のではなく「目醒めしかなかった」のですよね。理屈は面白いし私の解体にも役立ちますが、マインドを強くしてしまう弊害もあります。だから、理解はいらないのも本当です。だってもう目醒めていますから。よかったらメールでもお付き合いください。
にしきさん
いつもありがとうございます!
観察する私
もエゴだった…!!
背景としてある
という感覚がまだわかりません、、
うわー、、
背景としてある、って
どんな感じなんだろう、、
って言ってるこれもエゴですし、、
背景としてある、
という感覚?で生きている人、
結局どうやって?瞑想??
と気になります、、
気になるのもエゴですね、、
kazさん そうですよね、互いに共通の言葉がないんですよね。だから伝わりにくい。しかも目醒めはしばしば言葉を超えています。
そもそも何を知りたいかがこのコメントからはわかりにくいのですが、
「背景」と僕が言うときは、思考や感情は出来事で雲のように勝手に浮かんでは消えていくんですが、その出来事の背景に常に空がありますよね。
僕らはその変わらない空だよ、という言い方をします。
あるいは映画のスクリーンが僕たちだよとも言っています。
別の言い方をすると、今あなたは息をしているじゃないですか。
息という出来事が起こっていますよね。
それは、あなたがお部屋のいるからじゃないですか。
あなたは肉体じゃなくて、お部屋の空間のほうだよ、といってもいいです。これが背景の別の表現です。
これ比喩なので、実際に映画のスクリーンみたいに薄くなれ、って話じゃないです笑
ただし、このメール講座でも実践的にも瞑想の話はしていませんから瞑想のことじゃないです。
特別な方法があるんじゃないんです。努力や修行で気づくものでもない。
どうやって?と考えるのは、エゴのレベル。
実際は方法じゃなくて、「視点の深まり」で目醒めに「気づく」んです。
目醒めというすごい体験が起こるんじゃないんです。
ここも非常に伝わりにくいところです。
メール講座2回目を読んで。
にしきさん
ありがとうございます。
3つの前提(迷路の構造)の中にいる事が理解できました。
ほんとにそうだと思いました。
その事に自覚できていませんでした。
迷路のように彷徨ってたんですね。
でも迷路を理解はできたけど迷路の中にいる
自分を「掴めない」「わかっていない」
感覚でいます。
啓子さん そうですよね。3次元世界って二元論に基づく迷路ですよね。
だから出口がない。
しかも、迷路のなかにいる自分さえ幻だったりします。
だから、迷路の出口を探すというよりは、それが全部嘘だったと見抜く方向ですかね。
次もどうぞお楽しみに。
にしきさん、いつもありがとうございます。
にしきさんのおっしゃること、深いところに響いてくる感じがします。
「私」どうこうするんじゃない、ということが最近になってやっと
分かってきたように思うのですが、私には「静けさ」というのが分からないというか
感じられません。「静寂」というものを少しでも感じられたらなぁと思います。
たかこさん 静寂だけでなく、スピ的なものも感じにくいんじゃないかと思います。それは、このメール講座の第一回でお伝えしたとおり、「私」があって、「私」が成長して、「私」がつかむ、という前提があるからです。静けさなどの本質は、その何かを行ってつかもうとする自分(エゴ)が薄れたとき、自然と気づくものなんです。
ですから、このメール講座で、「私」という前提を解体すると、自然と感じられるようになります。どうぞお付き合いください。
錦織さん
メール講座をありがとうございます。
1回目のメールを読んで。
「今私は目醒めて生きたいと思っています。」
そう思っているという事はまだ私は目醒めていないと思っているんだなっ と思いました。
なんか「はっ」としました!
私たちは既に目醒めているという事ですよね。
そう思えない私がいるのを感じました。
松尾啓子さん そうなんです。眠り→目醒めが起こるわけじゃなくて(誤)、元々僕らは目醒めた存在。眠っていることは一度もなかったのです(正)。
なのに、目醒めていると思えない。それがこのメール講座の大きなテーマです。
どうぞ最後までお付き合いくださいね。
にしきさん、メール講座の配信して頂いて、ありがとうございます!
まさに、私が選んでいて、もっと成長しなきゃ、ゴールは先にある、と思っていました…。
最近、にしきさんの動画やワークをしていたら、ハイヤーセルフが浮かんできました。
(雲の上でポテチは食べていませんでしたが)白い空間から3Dのような沢山の現実を見ていました。その現実が白く浮かんで幻のようでした。
ハイヤーセルフが浮かんだ時は、すごく安心します。
ただ、毎日の忙しさの中で過ごすうちに、その感覚が薄れてきました。。
コメントありがとうございます。
ハイヤーセルフのような体験は、とても安心感をくれますよね。
でも実は、安心は「ハイヤーセルフがくれる」のではなく、
その体験の奥にある静けさそのものが安心なんです。
だから体験のイメージが薄れても大丈夫。
静けさ(安心)は、最初からずっと在ります。
にしきさん、はじめまして。
メール講座1回目を読ませていただきました。
まさに、迷路にはまっていたと気づきました。
毎日、自動で生きていたのに全く気づいていませんでした。
じゃあ誰が動かしているの?という疑問が出たところでハッとしました。
残りの講座も楽しみにしています。
ありがとうございます!
Seikoさん はじめまして。
メール講座を読んで、そこまで深く感じていただけたこと、とてもうれしいです。
「自動で生きていた」「じゃあ誰が動かしてるの?」
この問いが迷路の外側に触れ始めた瞬間ですね。
講座の続きを通して、ゆっくり一緒に探っていきましょう