この手紙でお話した
「感覚が私」
「考える前に反応してしまう」
から苦しみを終わらせる
プログラムを作っています。
もしあなたなら、
どんなことが扱われていたら
参加してみたいと思うでしょうか。
また、この5通の手紙を読んで、
・心に残ったこと
・もっと知りたいと思ったこと
・目醒めについて今気になっていること
があれば、ぜひコメント欄で教えてください。
ひとことでも大丈夫です。
あなたのお声も、聞かせていただけたらうれしいです。
にしき
この手紙でお話した
「感覚が私」
「考える前に反応してしまう」
から苦しみを終わらせる
プログラムを作っています。
もしあなたなら、
どんなことが扱われていたら
参加してみたいと思うでしょうか。
また、この5通の手紙を読んで、
・心に残ったこと
・もっと知りたいと思ったこと
・目醒めについて今気になっていること
があれば、ぜひコメント欄で教えてください。
ひとことでも大丈夫です。
あなたのお声も、聞かせていただけたらうれしいです。
にしき
何か辛い感情が湧いてきたとき、それをどうにかしようとする動きのようなものが強くあります。それが本当に苦しい。それをまた鎮めようと、勝手に別のエネルギーがわいて、それらがループしています。
なるほど。辛い感情そのものよりも、それをどうにかしようとする動きのほうが苦しい。
そんな感じなのですね。
そして鎮めようとすると、また別の力が出てきてしまう。
とても正直なお話だと思いました。
感情そのものよりも、感情をなんとかしようとすること。
苦しみを終わらせようとすること。
そこに新しい苦しさが生まれていることがあるんですよね。
そんな方のために、1ヵ月期間限定で個人セッションを募集します。20日にお知らせしますので、よかったらページを見てくださいね。
Radical non duality と呼ばれる話では、目覚めは私にどうにか出来るものではないという点において、目覚めを促すマスター達とは明確な違いがあるようです。もしメッセージを聞いて目覚めるなら、原因と結果があり、私がいない、分離がない世界とは言えないからと言います。何かを目指す、良くしようとする、学びに変える、それらはすべて私のための目覚め道であり、私がいない、私がやっていないという気づきには決して至らないと言います。
一方、原因と結果をベースにした目覚めの話は非常に魅力的です。着実な手触り感がたしかにありました。
これを書いている私は、どちらにもそそられます。しかし、なぜ否定と肯定はどこまでもついて回るのかと疑問が湧きます。どちらも、何でも良い、いい悪いはないと言いながら、どちらにも評価や判断があります。それに違和感というか、矛盾を感じます。
私がいない、私とは空っぽの囲いのように感じることはありますが、スピーカーやマスター達のような言葉は出て来ません。普通に生きながら、普通に目覚めたいと思い、普通に心や反応を見て、普通に物事に影響され、普通に忘れて、普通に愛が満ちていると感じ、普通にもっと尊重されたいと思い、普通に引き寄せってやっぱりあるよねと実感し、普通に今とは概念だ、今はなくて、何もなくて、満たされる、という日々を送っています。つまり、行ったり来たり、私も一貫性がなく、矛盾します。
そのような日々を過ごしながら、誰もがそれぞれ違うことを言って、共通点もある中で、一体何が本当のことなんだろうと迷い、あらゆるインプットがごちゃ混ぜになっており、よくわかりません。
たしかに非二元の世界にはさまざまな立場がありますね。
ただ今回の5通の手紙は、目醒めの話をしたものではありません。
むしろ、日常の中で苦しみがどんなふうに生まれているのか。
身体が反応したとき、どんなふうに「私」が生まれているのか。
それが苦しみを減らすことになれば…と思って書きました。
よかったら、あなたが体験している苦しさについて教えてくださるとうれしいです。
身体の反応と苦しさの関係がテーマになるような答えが期待されていたのですね。ただ、日常の苦しみはまさにこれなのです。わからないこと。わかってもらえず、質問が飛ばされること。このとき身体がどうこうとはあまり感じません。
なるほど、分からない感じなんですね。それが苦しいのですね。それは正解をお伝えすることでは終わらないと思いますが、それを一緒に見ていく機会を作りたいと思っていますよ。
錦さん
非二元では、身体は自分では無いと言います。
僕も理屈では身体は自分では無いという事は
分かります。 でも、それはあくまでも頭だ
けの理解であって依然として深いところでは
絶対的確信を持って自分は身体であるという
実感です。 非二元系のマスター達が私は身体
では無いと言うのを聞く時、私の心の奥では
「嘘つけ」と呟いている自分がいます。
ナカムラさん そうですよね。
多くの方が実感としては身体が自分です。
今回の手紙も、身体が自分ではないと信じるためのものではありません。
身体が反応したときに、どんなふうに「私」が生まれているのかを見ていく内容なんです。